黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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プチャーチンが川路聖謨に贈ったコップ

プチャーチンが川路聖謨に贈ったコップ

2020年2月の逸品

“1855年2月7日(安政元年12月21日)下田の長楽寺で日露和親条約が締結されました。南千島 (エトロフ島より南)は日本領、北千島(ウルップ島より北)はロシア領、樺太は共同使用。下田、箱館、長崎を開港等々です。
交渉を重ねるに従いロシア使節プチャーチンと日本の代表委員の勘定奉行川路聖謨は互いに認め合い、プチャーチンはガラスのコップを川路に贈りました。「一つは貴殿に、一つは奥方に、小さい一つはご子息(実際は孫)に」”

ロシア皇帝ニコライ1世愛用のコップ

2020年1月の逸品

ロシア使節プチャーチンは、北方の国境画定と日本との通商の協議のためディアナ号で下田へ来航しました。下田到着後の1855年1月14日(嘉永7年11月26日)、大津浪に襲われディアナ号は大破し、修理のため戸田村(現沼津市戸田)に向かう途中、富士沖で風波が強く沈没してしまいました。ロシア将兵約500人全員と重要書類などは付近の住民に助けられ、戸田まで送り届けられました。ロシアの将兵は戸田で代船を建造し、またアメリカの船をチャーターして故国へ帰るのですが、戸田や下田には「ニコライ1世愛用のコップ」など多くの遺品が残されています。

ディアナ号の線図

2019年12月の逸品

“1854年12月4日(嘉永7年10月15日)、ロシア使節プチャーチンがディアナ号で下田へ来航しました。目的は北方の国境画定と日本との通商の協議のためです。大目付格筒井政憲、勘定奉行川路聖謨と交渉の末1855年2月7日下田の長楽寺で日露和親条約を結びました。千島列島エトロフ島 以南が日本、ウルップ島以北がロシア、樺太は共同使用。下田、箱館、長崎の開港等々を決めまし。
 さてディアナ号は12月23日下田を襲った大地震・大津波で大破損をし遂に沈没するのですが、戸田(現沼津市)で代船を造りプチャーチン以下は帰国します。ディアナ号は沈没しますがこれらの出来事で日本とロシアとの交流は深まっていきました。ディアナ号は全長58.2㍍、幅13.6㍍の木像帆船で乗員は約500名。