黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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ハリスに与えた牛乳の請求書

ハリスに与えた牛乳の請求書

2019年8月の逸品

唐人お吉を語る時、お吉がハリスに牛乳を捧げる場面が出てきますがそれは物語の上のことで事実は違います。下田に着任した当初、ハリスは奉行所に牛乳を求めましたが、「牛乳は国民一切食用せず、牛は耕作、運送のために飼うのみで、乳は子牛に与えるのみなので応じられないと」断られています。後ハリスは病気になり一時はかなり危険でしたしたが回復に向かい、牛乳を求めます。この時は奉行所はそれに応え、農耕用の牛から5勺、6勺と集められてハリスに届けています。これはその記録です。

ハリスの遺品

2019年7月の逸品

“1856年8月21日(安政3年7月21日) アメリカの初代駐日総領事タウンゼンド・ハリスが秘書兼通訳のヒュースケンを伴い、サン・ジャシント号で下田に到着しました。
 下田の玉泉寺に領事館を開設し、そこで生活します。通商条約締結の任務を帯びていました。以後奮闘の末、日米修好通商条約を結び公使となって江戸に駐在するまで約3年間下田で暮らすことになります。

ペリー提督日本遠征記・上院版

2019年6月の逸品

ペリーの日本への遠征の記録です。上院版と言って、3冊1セットでアメリカの議員や政府の役人に配る為に5,000部出版しました。その後一般販売用として数万部を再版しました。また1冊にまとめたものなどが出版されました。当館は何れも所蔵していますがここに展示のものは上院版です。ペリーは日本の政治の仕組みや、動植物、地理・気候などあらゆる事を調べるために学者や記録係として画家や写真師も連れてきました。中央のが本文で、鳥の絵のあるのが動植物の調査報告、天文図に見えるのが、地理などの報告書です。下田のことも詳しく書いてあります。例えば「下田の街路は巾20フィートあり石が敷かれている。下水もあって清潔で健康的でアメリカより遙かに進んでいる。」、「民衆は控えめであるが快活な態度」とか「乞食を見ることが希」とか随分ほめています。だたし、公衆浴場が混浴であることはキリスト教徒の彼らには「淫蕩な人民」と写ったようです。この絵が下田の公衆浴場の絵で、アメリカでも非常に評判になったそうですが、「卑猥な絵」と言うことで再版本からは削除されています。