黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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プチャーチンのカバン

プチャーチンのカバン

2020年9月の逸品

ロシア使節プチャーチンは、北方の国境画定と日本との通商の協議のためディアナ号で下田へ来航しました。下田到着後の1855年1月14日(嘉永7年11月26日)、大津浪に襲われディアナ号は大破し、修理のため戸田村(現沼津市戸田)に向かう途中、富士沖で風波が強く沈没してしまいました。ロシア将兵約500人全員と重要書類などは付近の住民に助けられ、戸田まで送り届けられました。ロシアの将兵は戸田で代船を建造し、またアメリカの船をチャーターして故国へ帰るのですが、戸田や下田には「プチャーチンのカバン」など多くの遺品が残されています。

モジャイスキーのカメラ

2020年8月の逸品

幕末日本を訪れる欧米使節には記録係りとして画家や写真師が随行していました。ペリー艦隊の画家ハイネや写真師ブラウンは有名です。ロシア使節には専任の写真師は居ませんが、技術士官のモジャイスキーが写真や絵を良くし、写真撮影や絵を描きました。当時のカメラは銀板写真でモジャイスキーは銀の板に薬を塗り撮影し、それを絵に写しとり、銀板は磨いて薬を塗り再利用したようです。このカメラは乗艦のディア号が大津波で遭難したため、レンズのみが残り、暗箱は再現した物です。

ペリーの似顔絵

2020年7月の逸品

嘉永7年3月21日(1854年4月) 、アメリカのペリー提督搭乗の蒸気艦ポーハタン号とミシシッピー号が午後2時頃下田入港しました。この3月31日締結された日米和親条約で下田は即時開港となり、ペリーの黒船艦隊は15日から順次下田に入港しました。
この日以来、5年後に横浜が開港するまで、下田は外国との窓口の地となり歴史上重要ないろいろな出来事がありました。

この鬼のような絵は当時の錦絵や亙版の乗ったペリーの似顔絵です。ペリーの似顔絵は多く描かれ、当館でも数枚展示しています。