黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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ペリーの似顔絵

ペリーの似顔絵

2020年7月の逸品

嘉永7年3月21日(1854年4月) 、アメリカのペリー提督搭乗の蒸気艦ポーハタン号とミシシッピー号が午後2時頃下田入港しました。この3月31日締結された日米和親条約で下田は即時開港となり、ペリーの黒船艦隊は15日から順次下田に入港しました。
この日以来、5年後に横浜が開港するまで、下田は外国との窓口の地となり歴史上重要ないろいろな出来事がありました。

この鬼のような絵は当時の錦絵や亙版の乗ったペリーの似顔絵です。ペリーの似顔絵は多く描かれ、当館でも数枚展示しています。

 

ハリスの遺品

2020年6月の逸品

タウンゼント・ハリスはアメリカの初代総領事として1856年8月21日下田に来航しました。下田の玉泉寺に総領事館を開き、下田奉行・幕府側と交渉し2年後には日米修好通商条約の締結に成功しました。以後公使に昇格し江戸麻布の善福寺の公使館に移りました。そして公使としての任務を終え、1862年5月10日日本を去り、帰国の途につきました。当館にはハリスが下田滞在中の遺品を展示しています。

辻村ジュザブロウ作「ハリスとお吉」

2020年5月の逸品

“6月13日(1857=安政4年5月22日)
幕末下田でアメリカ総領事ハリスには「お吉」が、秘書のヒュースケンに「お福」が仕えたことはよく知られています。この日はお吉がハリスに仕えた日です。
下田に残された古文書には「下田町坂下町市蔵後家娘きち(唐人お吉)17才、玉泉寺に滞在のハリスの許へ出仕。引戸駕篭で奉行所の役人や通訳が付き添って玉泉寺にお送り届けその日は一泊させた。」との記録があります。
なお、お吉は3日後に内股の腫れ物を直す用にと解雇されました。