黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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欠乏品の例

欠乏品の例

2020年3月の逸品

1854年(嘉永7年)に結ばれた日米和親条約では貿易はまだ許可されませんが、下田でアメリカの船が航海に必要な食糧、水、薪炭など(欠乏品と言っていました)を供給することは出来ました。アメリカ側は航海に必要と言うことにして、この「欠乏品の例」のように陶器、漆器、貝細工などの土産物も買っていきました。色々制限がありましたが、下田では貿易が行われました。

プチャーチンが川路聖謨に贈ったコップ

2020年2月の逸品

“1855年2月7日(安政元年12月21日)下田の長楽寺で日露和親条約が締結されました。南千島 (エトロフ島より南)は日本領、北千島(ウルップ島より北)はロシア領、樺太は共同使用。下田、箱館、長崎を開港等々です。
交渉を重ねるに従いロシア使節プチャーチンと日本の代表委員の勘定奉行川路聖謨は互いに認め合い、プチャーチンはガラスのコップを川路に贈りました。「一つは貴殿に、一つは奥方に、小さい一つはご子息(実際は孫)に」”

ロシア皇帝ニコライ1世愛用のコップ

2020年1月の逸品

ロシア使節プチャーチンは、北方の国境画定と日本との通商の協議のためディアナ号で下田へ来航しました。下田到着後の1855年1月14日(嘉永7年11月26日)、大津浪に襲われディアナ号は大破し、修理のため戸田村(現沼津市戸田)に向かう途中、富士沖で風波が強く沈没してしまいました。ロシア将兵約500人全員と重要書類などは付近の住民に助けられ、戸田まで送り届けられました。ロシアの将兵は戸田で代船を建造し、またアメリカの船をチャーターして故国へ帰るのですが、戸田や下田には「ニコライ1世愛用のコップ」など多くの遺品が残されています。