黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

下田開国博物館ロゴ

ヒュースケンの服

ヒュースケンの服

2021年3月の逸品

米国初代総領事ハリスの秘書兼通訳としてハリスに従い1856年8月21日下田に着きました。オランダ生まれの24歳。日常かなり自由に行動し、日本の国情に通じ、単なる通訳以上の存在となり、ハリスの任務遂行に寄与しました。この服は下田に残されたヒュースケンの服です。この服から身長は175センチ程だったようです。当時の日本人の男性は155~160センチ程でした。

下田に滞在の亜人の美女

2021年2月の逸品

ロシア使節の乗艦ディアナ号が安政の大津波で破壊沈没し、ロシア将兵の帰国のためアメリカ商船カロライン・フートがチャーターされるのですが、その乗り組ダハタティの妻他が一時下田の玉泉寺に滞在することになりました。「要望美麗、丹花の唇、白雪の肌、衆人目驚かし、魂を飛ばす」とあります。

ペリー提督の写真立

2021年1月の逸品

幕末の嘉永7年3月3日(1854.3.31)日米和親条約の締結により下田が開港されペリー艦隊7隻が下田に入港してきました。約2月後下田を去るのですが、この時米兵が下田の商家に残したもので、長い航海中に水兵がマニラたばこの空箱を使って作った写真立てです。こまかい細工がよくできていて、ひょっとすると作者は海軍に入隊する前、木工職人だったかもしれません。