黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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今日は何の日

165年前の3月23日

1854年3月23日(嘉永7.2.25)
 日本に開港を求めて来航したアメリカのペリー提督は、横浜で幕府の代表(林大学頭他)と日本の開港について交渉中でした。ペリーは開港場として神奈川などを望みましたが、幕府は神奈川は江戸に近すぎる事もあり拒否し、下田を候補に挙げました。 そこでペリーは、艦隊のサザンプトン号、ヴァンダリア号を下田に派遣し下田港の測量、食料、燃料、飲料水などの調査をしました。その結果下田を開港場とすることが決まりましたが、調査のため2隻が下田入港したのが165年前の今日です。

161年前の3月19日

1858年3月19日(安政5.2.5) 
 幕末、下田で、アメリカ総領事ハリスには「お吉」が、秘書のヒュースケンには「お福」が仕えたことはよく知られています。伝えられている「唐人お吉物語」は虚実が入り乱れており、実際にはハリスには「きち」「さよ」「りん」の3名が、ヒュースケンには「ふく」「きよ」「まつ」「つる」の4名の若い女性が仕えています。 161年前の今日は下田町新田町安兵衛娘「きよ」が玉泉寺滞在のヒュースケンの許に出仕した日ですが、気に入られなかったようで、「きよ」はすぐ解雇されました。

161年前の3月17日

1858年3月17日(安政5.2.3)
 アメリカ初代総領事タウンゼント・ハリスは牛乳を飲もうと下田奉行所の役人に牛乳を求めましたが、日本には牛乳を飲む習慣も、乳牛も居なく、使役の牛の乳は子牛が飲むものと断わられてしまいます。 「唐人お吉物語」ではお吉が牛乳を入手してハリスに与えた事になっていますが、それは物語で史実は次のようです。
ハリスは安政5年重病になり、この時は諸外国との関係で幕府もハリスを頼りにするようになっており、下田奉行所が村々に牛の乳を届けるよう触れを出し、白浜村、蓮台寺村、大下沢村、吉佐美村などから牛乳が届きました。それは161年前の今日です。当時の記録によると牛乳9合7勺に対し1両3分84文を支払い、別に集める人足延べ18人で4貫文と750文かかっています。今のお金で1合辺り13,000円くらいのようです。