黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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今日は何の日

167年前の4月24日

1854年4月24日=嘉永7年3月27日
吉田松陰が下田湊に停泊中のペリーの黒船で海外密航を図った事はよく知られていますが、167年前の4月24日が決行した日です。
松陰と弟子の金子重輔は夜半、柿崎弁天島から伝馬船で沖に漕ぎ出しました。旗艦ポーハタン号への乗船までは成功しましたが、海外渡航は拒否されボートで岸に送り帰されました。翌日早朝柿崎名主平右衛門家へ行き、下田奉行所に自首の取り次ぎをさせ、夜同心が引き取りに来ました。2人は江戸に護送され、故郷の萩に帰されました。
松陰は萩の「松下村塾」で子弟の教育に当たるわけですが、その弟子達が密かに海外渡航(留学)を果たし、新しい知識を身につけ帰国、明治維新・新たな日本建設の役割を果たしました。

166年前の4月20日

1855年4月20日=安政2年3月4日
166年前の4月20日、フランス軍艦コンスタンチン号がクリミア戦争で敵対しているロシア軍艦探索のため下田に入港しましたが、下田奉行はフランスは日本とは無条約の国のであるとして上陸を拒否、退帆を求めました。
なお、下田入港のロシア軍艦ディアナ号は3ケ月前の大津波で大破、沈没し、ロシア将兵は伊豆半島根元の戸田に滞在中でした。

167年前の4月18日

1854年4月18日=嘉永7年3月21日

167年前の4月18日、アメリカのペリー提督搭乗の蒸気艦ポーハタン号とミシシッピー号が午後2時頃下田入港しました。この3月31日締結された日米和親条約で下田は即時開港となり、ペリーの黒船艦隊は15日から順次下田に入港しました。合計7隻(内蒸気船は2隻) となりアメリカ将兵は1200数十名でした。
この日以来、5年後に横浜が開港するまで、下田は外国との窓口の地となり歴史上重要ないろいろな出来事がありました。