黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

下田開国博物館ロゴ

今日は何の日

164年前の8月9日

1852年8月9日=嘉永5年6月24日
下田は1854年日米和親条約で日本最初の開港場となった地ですが、それ以前から外国船が入港を試みた港です。164年前の8月9日、ロシアのメンシコフ号が7人の日本人漂流民を伴い下田入港しましたが、上陸を拒否され、漂流民はボートで数キロ離れたで中木へ上陸しました。この漂流民は紀州船天寿丸の乗組員で、嘉永3年正月大風で漂流し、蝦夷地でアメリカ捕鯨船に救助されました。ペトロハバロフスクに入港後アラスカから上海へ向かうメンシコフ号に便乗し日本帰国を図ったのです。中木にボートで上陸した天寿丸の漂流民は、韮山代官、江戸町奉行の吟味 をへて紀州藩へ引き渡され故郷へ帰りました。

162年前の8月4日

1860年8月4日=万延元年6月18日
1858年7月29日(安政5.6.19)、幕府はアメリカ総領事タウンゼント・ハリスと日米修好通商条約を結びましたが、以後もヨーロッパ各国は使節を日本に派遣し通商条約の締結を迫るのですが、162年前の8月4日ポルトガルと日葡修好通商条約を結びました。

164年前の7月29日

1858年7月29日=安政5年6月19日
江戸時代の日本は長崎でオランダ、中国、朝鮮にのみ窓口を開き、他の国とは没交渉でした(鎖国)が、1854年3月31日横浜で結ばれた日米和親条約により下田が開港されました。この条約は日本が鎖国を止めるという内容ではなく、鎖国中でも下田でアメリカの船に航海上必要な水・食料などを供給するというのが主な内容でした。その1年5ケ月後、タウンゼント・ハリスが初代アメリカ総領事として下田に着任しました。ハリスの主な任務は日本の鎖国を止めさせ、アメリカと自由貿易をする条約を結ぶことでした。そして下田奉行や幕府高官と交渉の末164年前の1858年7月29日、神奈川小柴沖、米艦ポーハタン号上で日米修好通商条約が締結されました。
神奈川、長崎、兵庫、新潟、箱館の開港などを決め、この条約で日本は鎖国を止め世界の仲間入りする事になった訳です。そしてその後3ケ月に満たない間にオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同内容の修好通商条約を結びました。(安政の5ヶ国条約と呼んでいます)