黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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今日は何の日

166年前の3月31日

1854年3月31日=嘉永7年3月3日
1853年7月、アメリカ使節ペリー提督は4隻の黒船で浦賀へ来航し、幕府に開国を求める大統領の国書の受理を迫りました。幕府は拒絶する事の困難を感じ、やむを得ず国書を受け取り、1年後に回答することを約束しました。
そして翌年ペリー提督は浦賀に再来しました。前年は4隻でしたが、再来時は12隻の艦隊でした。
以後紆余曲折を経て、166年前の3月31日、横浜で下田の開港などを取り決めた日米和親条約を締結しました。
ペリーはこの条約に基づき艦隊を下田に向ける準備をし、 4月15日から順次下田に入港した。

197年前と160年前の3月24日

1823年3月24日=文政6年2月12日
日本写真術の開祖と崇められている下岡蓮杖(幼名桜田久之助)は、日米修好通商条約により開港した横浜で、日本人最初の職業写真師となりました。
彼は、197年前の3月24日、下田で代々廻船問屋を務める桜田与惣右衛門の3男として生まれました。画家を志し狩野派の絵師となりましたが、写真を見てその術を学ぼうと決意し、苦心の末、日本人最初の写真師となったのです

1860年3月24日=安政7年3月3日
160年前の3月24日は桜田門外の変で、時の大老井伊直弼が桜田門外で暗殺された日です。
1858年、幕府はアメリカと日米修好通商条約を結びました。そして3ケ月に満たない間にオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同内容の修好通商条約を結びましたが、これを契機に国内の攘夷運動は激しさを増しました。
その頃の徳川幕府の最高責任者は大老の井伊直弼で、1859年、幕府は吉田松陰の処刑など反幕府勢力を弾圧(安政の大獄)し、それが桜田門外の変に繋がっていきました。

166年前の3月23日

1854年3月23日=嘉永7年2月25日
日本に開港を求めて来航したアメリカのペリー提督は、横浜で幕府の代表(林大学頭他)と日本の開港について交渉中でした。ペリーは開港場として神奈川などを望みましたが、幕府は神奈川は江戸に近すぎる事もあり拒否し、下田を候補に挙げました。
そこでペリーは、艦隊のサザンプトン号、ヴァンダリア号を下田に派遣し、下田港の測量、食料、燃料、飲料水などの調査をしました。その結果下田を開港場とすることが決まりましたが、調査のため2隻が下田入港したのが166年前の3月23日です。