黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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今日は何の日

266年前の8月14日

1754年8月14日=宝暦4年6月26日
266年前の8月14日、下田で保護していた南京船の漂民71名を長崎に護送ました。
宝暦3年(1753)12月10日、長崎往来の南京商船が遭難し、八丈島に漂着しました。廣南船主「高山輝」「程剣南」71人乗り組み。南京の乍浦港から長崎に向かう途中暴風雨に逢い、舵を失うなどの破船をしました。
八丈島で荷物を陸揚げし、その地では約半年間、食料を与えるなど保護し、翌年6月上旬、11隻の船に乗せて下田に護送しました。下田では71人に住まいを提供し、また病人を看護し1754年8月14日、長崎に護送すべく筑前船2隻乗せ送り出しました。

162年前の8月9日

1852年8月9日=嘉永5年6月24日
下田は1854年日米和親条約で日本最初の開港場となった地ですが、それ以前から外国船が入港を試みた港です。162年前の8月9日、ロシアのメンシコフ号が7人の日本人漂流民を伴い下田入港しましたが、上陸を拒否され、漂流民はボートで数キロ離れたで中木へ上陸しました。この漂流民は紀州船天寿丸の乗組員で、嘉永3年正月大風で漂流し、蝦夷地でアメリカ捕鯨船に救助されました。ペトロハバロフスクに入港後アラスカから上海へ向かうメンシコフ号に便乗し日本帰国を図ったのです。中木にボートで上陸した天寿丸の漂流民は、韮山代官、江戸町奉行の吟味 をへて紀州藩へ引き渡され故郷へ帰りました。

160年前の8月4日

1860年8月4日=万延元年6月18日
1858年7月29日(安政5.6.19)、幕府はアメリカ総領事タウンゼント・ハリスと日米修好通商条約を結びましたが、以後もヨーロッパ各国は使節を日本に派遣し通商条約の締結を迫るのですが、160年前の8月4日ポルトガルと日葡修好通商条約を結びました。