黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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今日は何の日

147年前の2月24日

1873年2月24日=明治6年
1871年(明治4)、江戸幕府が欧米諸国と結んだ条約改正のため欧米に派遣された岩倉具視ら一行は、日本がキリスト教の禁制と迫害をやめないかぎり欧米諸国との条約改正の交渉が問題にされない事を知り政府にキリスト教解禁を上申しました。
1873年、147年前の2月24日、明治政府は「太政官布告第68号」を発し、キリスト教禁制の高札を撤廃しました。これは条約改正の為の措置であって、信教の自由公認とは程遠いものでしたが、キリスト教の教宣活動が行えるようになりました。

195年前の2月18日

1825年2月18日=文政2年4月6
江戸時代、日本は鎖国をしていました。日本沿岸にロシアやイギリスの船がたびたび姿を見せるようになると、幕府は外国船打払令(無二念打払令)を出しました。これは「異国船はこれを発見しだい、二念なく打ち払うべし」というものです。それが195年前の2月18日です。
1837年、外国船打払令に従って浦賀奉行所が、浦賀にあらわれたアメリカの貿易商社の所属船モリソン号に対して砲撃を加えています。しかし、日本人漂流漁民を送り届けてきたアメリカ商船モリソン号をイギリスの軍艦と誤認して砲撃したモリソン号事件は日本人にも批判されました。
また、アヘン戦争での清の惨敗の情報により、幕府は西洋の軍事力の強大さを認識し、1842年(天保13年)には異国船打払令を廃止し、遭難した船に限り補給を認めるという薪水給与令を出して、文化の薪水給与令の水準に戻すことにしまし。

166年前の2月12日

1854年2月12日=嘉永7年1月6日
1853年7月、アメリカ使節ペリー提督は4隻の黒船で浦賀へ来航し、幕府に開国を求めるアメリカ大統領の国書の受理を迫りました。幕府は拒絶する事の困難を感じ、やむを得ず翌日国書を受け取り、1年後に回答することを約束しました。
そして166年前の2月12日、アメリカ使節ペリー提督は前年に続いて浦賀に再来しました。前年は4隻でしたが、再来時は12隻の艦隊でした。
以後紆余曲折をへて日米和親条約の締結と続いていきました。