黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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今日は何の日

164年前の10月25日

1856年10月25日ー安政3年9月27日
1856年9月下田の玉泉寺に領事館を開設したアメリカ初代総領事タウンゼント・ハリスは164年前の10月25日、下田奉行所を通じて幕府へ大統領親書奉呈と重大用件協議のため江戸への出府要請の書翰を出しました。しかし江戸出府が実現したのは1年後の事でした。

164年前の10月23日

1856年10月23日=安政3年月25日
初代米国総領事タウンゼント・ハリスは1856年9月下田に着任し、以後約3年間下田で生活することになるのですが、着任2年前結ばれた日米和親約と付録下田条約では、買い物は決められた場所で下田奉行所の役人をを通じて行い、1ドル=金1分(金4分で1両)との取り決めでした。
164年前の10月23日、ハリスは下田奉行所に日用品の自由買い入れと通貨交換比率改定の申し入れをしました。この申し入れは翌年3月に日本側と合意に達しました。

168年前の10月19日

1852年10月19日=嘉永5年9月7日
ロシアは江戸時代の中頃から日本関心を持ち、使節を派遣してきました。
第1回目は1792年にアダムス・ラックスマンを、第2回目が1804年で使節はニコライ・レザノフでした。しかし2回とも幕府は鎖国を楯に拒否をしました。 アメリカのペリーが日本遠征を行う情報を得たロシアは、3回目の使節プチャーチンを日本に派遣することしました。168年前の10月19日、プチャーチンはパルラダ号で日本にむけクロンシュタット出帆翌年8月長崎着。その後伊豆下田に向かい、そこで大津波で乗艦を失うなど多くの困難がありましたが、1855年2月、日露和親条約を結び、帰国したのは3年後の事でした。