1861年7月5日=文久元年5月28日)
江戸時代の日本は鎖国政策をとり、長崎でオランダ、中国、朝鮮に、窓口を開き、他の国とは没交渉でしたが、1854年3月31日、横浜で結ばれた日米和親条約により下田が開港されました。そして、その1年5ケ月後、タウンゼント・ハリスが初代アメリカ総領事として下田に着任し、下田奉行や幕府高官と交渉の末1858年7月日米修好通商条約を結びました。
これで日本は鎖国を止めたことを宣言したことになります。さらに3ケ月に満たない間にオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同内容の修好通商条約を結びました。これを契機に国内の攘夷運動は激しさを増し、幾件もの外国人殺傷事件が起きました。
そして162年前の7月5日、水戸浪士が、高輪東禅寺の英国公使館を襲撃し、館員らを負傷させました。