1854年₆月17日(嘉永7年5月22日) この年の3月31日(和暦3月3日)結ばれた神奈川条約(日米和親条約)で下田が開港され、ペリーの黒船艦隊が下田に入港しました。 神奈川条約の交渉委員の林大学頭等も下田に来て、更に交渉を進め、169前の6月17日、下田了仙寺で日米和親条約付録下田条約十三ケ条が締結されました。内容は、米人の歩行範囲は港内の犬走島から7里以内。了仙寺と玉泉寺を米人の休息所とし、埋葬所は玉泉寺とする。購入は奉行書役人を通すこと、等々です。
このサイトについて | サイトマップ
Copyright (有)豆州下田郷土資料館. All Rights Reserved.