1843年1月29日=天保13年12月29日
享保6年(1721)幕府の海の関所である下田御番所の浦賀移転に伴い、江戸初期から約100年間続いた下田奉行所は14代奉行で終わりました。しかし18世紀になると外国船が度々姿を見せるようになり、幕府は下田港の入り口にお台場を造るなど海防に目を向け、180年前の1月29日下田奉行を再配置し、浦賀奉行小笠原加賀守が下田奉行に任じられました。しかし幕府の財政難などにより、弘化元年(1845)廃止されました。
次に再び下田に奉行所が配置されるのは日米和親条約により下田が開港された嘉永7年(1854)です。