1856年12月7日=安政3年11月10日 166年前の12月7日は下田で1855年2月日7締結の日露和親条約批准書交換が下田郊外中村の下田奉行所で行われた日です。 ロシア使節は条約交渉の時のロシア使節プチャーチンの副官だったポシェットでした。この時、前年プチャーチンらの帰国に使った「ヘダ号」を返還、またディアナ号より陸揚げし、下田で保管していた大砲52門が「先の滞在中に受けた数々の恩恵に対するお礼として」日本に寄贈されました。
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