1856年11月8日=安政3年10月11日
1855年2月7日、下田の長楽寺で日露和親条約が結ばれ、北方領土が取り決められ、下田、箱館、長崎がロシアに開港されました。
条約交渉の最中、安政の大津波で下田はほぼ全壊、ロシア使節の軍艦ディアナ号も沈没、代船を建造しロシアの将兵は帰りました。
翌年、当時のロシア使節プチャーチンの副官だったポッシェットが使節となり、日露和親条約批准のためオリヴァツア号で下田に来たのが166年前の11月8日です。
この時プチャーチンらが帰国時に使用した、「ヘダ号」(伊豆半島戸田で建造した日本最初の洋式帆船)を返還のため伴っていました。