黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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170年前の10月19日

170年前の10月19日

1852年10月19日=嘉永5年9月7日
ロシアは江戸時代の中頃から日本関心を持ち、使節を派遣してきました。
第1回目は1792年にアダムス・ラックスマンを、第2回目が1804年で使節はニコライ・レザノフでした。しかし2回とも幕府は鎖国を楯に拒否をしました。 アメリカのペリーが日本遠征を行う情報を得たロシアは、3回目の使節プチャーチンを日本に派遣することしました。170年前の10月19日、プチャーチンはパルラダ号で日本にむけクロンシュタット出帆翌年8月長崎着。その後伊豆下田に向かい、そこで大津波で乗艦を失うなど多くの困難がありましたが、1855年2月、日露和親条約を結び、帰国したのは3年後の事でした。