1859年12月31日=安政6年12月8日
162年前の12月31日、日本最初の開港場となっていた下田が閉港となりました。
嘉永7年3月3日(1854.3.31)日米和親条約により、下田は日本最初の開港場となりました。この条約に基づきタウンゼント・ハリスが初代アメリカ総総領事として下田に着任し、1858年7月幕府と日米修好通商条約を結びました。
この条約で日本は鎖国を止める事を世界に宣言したことになり、横浜等が開港されました。そして横浜が開港した代わりに下田が閉港となりました。
下田の開港期間は5年数ケ月と短かったのですが、ペリー来航から明治維新まで僅か15年、その始めの5年間は下田が日本の世界への窓口であり国際都市であったわけです。