1856年9月6日=安政3年8月8日
1856年8月21日アメリカ初代総領事タウンゼント・ハリスは秘書兼通訳のヒュースケンと共に下田に来航し、9月3日、領事館となる柿崎の玉泉寺に入りました。料理人など中国人の召使いを伴い、当座必要な食料も船から運び込んだようです。しかし牛乳はなく165年前の9月6日、牛乳を飲もうと下田奉行所の役人に牛乳を求めましたが、日本には牛乳を飲む習慣もなく、使役の牛の乳は子牛が飲むものと断わられてしまいます。以後ハリスは母牛や山羊を飼育して乳を得ようとしたり苦心しています。
「唐人お吉物語」ではお吉が牛乳を入手してハリスに与えた事になっていますが、それは物語で、史実としては、安政5年重病になったハリスが、薬効もある牛乳を希望し、幕府も諸外国との関係でハリスを頼りにするようになっており、下田奉行所が手を尽くして牛乳を集めハリスに与えています。