黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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167年前と163年前の8月18日、19日

167年前と163年前の8月18日、19日

1854年8月18日=嘉永7年6月24日
167年前の8月18日、アメリカ商船レディ・ピアス号が越後国八幡丸の漂流民勇次郎(勇之助)送還のため下田入港しました。
八幡丸はエトロフ島内ベットフという所へ塩鱒を積み請けに航海の帰路、出羽国小島沖にて南風に遭い船は破れて航行不能になり、津軽海峡から太平洋に漂流、乗員13名の内唯1人命を保ちアメリカ船に救助されサンフランシスコへ渡りました。サンフランシスコで11ヶ月間日を送り、幸い日本行きの商船レディ・ピアスに便船を許されました。
取り調べに当たった下田奉行支配組頭伊佐新次郎の報告書には勇之助は優秀で蘭学、アメリカ文字も解り、英語通訳になることも勧めたとあります。しかし勇次郎は故郷へ帰りたい思いが強く、無事領主上杉家に渡されました。

1858年8月18日、19日=安政5年7月10,11日
1858年7月、幕府はアメリカ総領事タウンゼント・ハリスと日米修好通商条約を結び、神奈川、長崎、兵庫、新潟、箱館の開港などを決めました。この条約で日本は鎖国を止め世界の仲間入りする事になった訳です。そしてその後3ケ月に満たない間にオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同内容の修好通商条約を結びました。(安政の5ヶ国条約と呼んでいます)
163年前の1858年8月18日は日本とオランダの日蘭修好通商条約、翌日の19日は日本とロシアの日露修好通商条約が調印された日です。