黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

下田開国博物館ロゴ

1858年7月29日=安政5年6月19日
江戸時代の日本は長崎でオランダ・中国と、津島から朝鮮に、そして薩摩を通して琉球への窓口を開き、西欧の国とは没交渉でした(鎖国)が、1854年3月31日横浜で結ばれた日米和親条約により下田が開港されました。この条約は日本が鎖国を止めるという内容ではなく、鎖国中でも下田でアメリカの船に航海上必要な水・食料などを供給するというのが主な内容でした。その1年5ケ月後、タウンゼント・ハリスが初代アメリカ総領事として下田に着任しました。ハリスの主な任務は日本の鎖国を止めさせ、アメリカと自由貿易をする条約を結ぶことでした。そして下田奉行や幕府高官と交渉の末163年前の1858年7月29日、神奈川小柴沖、米艦ポーハタン号上で日米修好通商条約が締結されました。
神奈川、長崎、兵庫、新潟、箱館の開港などを決め、この条約で日本は鎖国を止め世界の仲間入りする事になった訳です。そしてその後3ケ月に満たない間にオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同内容の修好通商条約を結びました。(安政の5ヶ国条約と呼んでいます)