1858年7月23日=安政5年6月13日
163前の7月23日、米艦ミシシッピー号が下田に入港し、下田駐在の米国総領事ハリスに、英・仏連合軍が清国を屈服させ日本に向かう等の情報を伝えました。 ハリスと幕府はこの数ケ月間交渉を重ね、日本は鎖国をやめ、アメリカと自由貿易をする等の内容の日米通商条約に合意していました。しかし、幕府が朝廷の了解を得られず調印が延び延びになっていたのです。ハリスは、日米通商条約の調印ができれば、日本がは英・仏との間で武力衝突など起きればアメリカが仲介すると言い、早急に調印し、英仏来日に備えるよう幕府を説得しました。結果その時の大老の井伊直弼は朝廷の了解無しでの調印を決断し、29日、神奈川小柴沖米艦ポーハタン号上で日米修好通商条約締結がされました。