1871年1月1日=明治3年11月11日
150年前の1月1日、下田沖にある神子元(みこもと)島灯台が始めて点灯しました。
1866年(慶応2)英・仏・米・蘭の4ケ国との間で改税約書(関税率の取り決めなど)が調印されましたが、同時に外国船の航行の安全を図るために8ケ所の灯台や浮標を設置することも義務づけられ、その1つです。
神子元島灯台は英国のスティーヴンスン兄弟社の設計、英人技師ブラントンの監督の下に明治2年着手、人力で石造灯台を完成させました。1本の木もない荒海の岩礁に灯台を築くことは相当の難事業でしたが、下田の人々は工事基地としての役割を果たし、多くの困難を乗り越えて完成させました。石材はエビス崎(下田海上保安部建物の東側付近)から切り出し、名主達が職人の雇い入れ、諸資材の調達当に大層苦労した記録が残っています。
点灯式には参議大久保利通、木戸孝允など政府高官やイギリス公使パークス等が立ち会っています。
なお、他の7ケ所の灯台の場所と初点灯は次の通りです。 観音崎(神奈川県横須賀、1869.1.1)、野島崎(房総半島、1870.1.19)、樫野崎(和歌山県串本町、1870.7.8)、剣崎(神奈川県三浦、1871.3.1)、伊王島(長崎県伊王島、1871.7)、佐多崎(鹿児島県大隅半島、1871.10.18)、潮岬(和歌山県串本町、18970.6.10)。
神子元島灯台は現在も下田の海を照らし、わが国最古の洋式石造灯台として国の史跡に指定されています。
スティーヴンスン兄弟社は「宝島」等の作者R・Lスティーヴンスンのお父さん、おじさんの会社です。