1855年5月8日=安政2年3月22日
ロシア使節プチャーチンの乗艦ディアナ号は下田港に停泊中、安政の大津波により大破、修理のため戸田に回航途中富士沖で沈没してしまいました。
約500名のロシア将兵は戸田に滞在し、代船建造やアメリカ商船をチャーターし、3回に別け帰国しました。
165前の5月8日、第2次として プチャーチン以下48名、戸田で建造した日本初の洋式帆船「ヘダ号」で帰国の途につきました。太平洋を北上し、アムール川河口のニコライフスクにつき、ここから小舟にのりアムール川をさかのぼりシベリアを横断して、7ケ月後首都ペテルスブルグに帰り着きました。