1855年4月11日=安政2年2月24日
下田港に停泊中のロシア使節プチャーチンの乗艦ディアナ号は前年12月、安政の大津波により大破し、修理のため戸田に回航途中富士沖で沈没してしまいました。 約500名のロシア将兵は戸田村(現沼津市戸田)に滞在し、代船建造やアメリカ商船をチャーターし、3回に別け帰国の途につくのですが、165年前の4月11日は第1次として159名のロシア将兵が米船カロラインフート号で、帰国の途についた日です。カロラインフート号には船主の婦人や子どもなどが乗っていましたが、この間は下船して下田の玉泉寺に滞在していました。