黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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197年前と160年前の3月24日

197年前と160年前の3月24日

1823年3月24日=文政6年2月12日
日本写真術の開祖と崇められている下岡蓮杖(幼名桜田久之助)は、日米修好通商条約により開港した横浜で、日本人最初の職業写真師となりました。
彼は、197年前の3月24日、下田で代々廻船問屋を務める桜田与惣右衛門の3男として生まれました。画家を志し狩野派の絵師となりましたが、写真を見てその術を学ぼうと決意し、苦心の末、日本人最初の写真師となったのです

1860年3月24日=安政7年3月3日
160年前の3月24日は桜田門外の変で、時の大老井伊直弼が桜田門外で暗殺された日です。
1858年、幕府はアメリカと日米修好通商条約を結びました。そして3ケ月に満たない間にオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同内容の修好通商条約を結びましたが、これを契機に国内の攘夷運動は激しさを増しました。
その頃の徳川幕府の最高責任者は大老の井伊直弼で、1859年、幕府は吉田松陰の処刑など反幕府勢力を弾圧(安政の大獄)し、それが桜田門外の変に繋がっていきました。