1858年3月17日=安政5年2月3日
アメリカ初代総領事タウンゼント・ハリスは牛乳を飲もうと下田奉行所の役人に牛乳を求めましたが、日本には牛乳を飲む習慣も、乳牛もいなく、使役の牛の乳は子牛が飲むものと断わられてしまいます。
「唐人お吉物語」ではお吉が牛乳を入手してハリスに与えた事になっていますが、それは物語で史実は次のようです。
ハリスは安政5年重病になり、この時は諸外国との関係で幕府もハリスを頼りにするようになっており、下田奉行所が村々に牛の乳を届けるよう触れを出し、白浜村、蓮台寺村、大下沢村、吉佐美村などから牛乳が届きました。それが162年前の3月17日でした。
当時の記録によると牛乳9合7勺に対し1両3分84文払い、別に集める人足延べ18人で4貫文と750文かかっています。今のお金で1合当たり13,000円くらいのようです。