黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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165年前の1月頃

165年前の1月頃

1855年1月頃=安政2年1月頃
165年前の1月頃下田町中村(現下田警察署付近)に下田奉行所が建てられました。
下田は1854年3月3日(嘉永7年3月31日)横浜で幕府とアメリカのペリー提督との間で結ばれた「日米和親条約」で日本最初の開港地となり、ペリーの黒船艦隊が入港してきました。
江戸時代を通して下田は幕府の直轄地で、この頃は韮山代官の支配でしたが、開港場となり、外国の船や人が来ることから下田奉行が置かれ、当初は町中の宝福寺そして稲田寺が仮奉行所となりました。
安政2年(1855年)、中村に約1万坪の田地を埋め立て、江戸の大棟梁(今ゼネコン)辻内近江が1万6千両で下田奉行所屋敷を建設しました。
下田奉所には役人から通訳まで140人ほどがいました。万延元年(1860)下田奉行は廃止となり、奉行所も取り壊され、木材等は神奈川へ運ばれました。