1856年12月7日=安政3年11月10日
163年前の12月7日は下田で1855年2月日7締結の日露和親条約批准書交換が下田郊外中村の下田奉行所で行われた日です。
ロシア使節は条約交渉の時のロシア使節プチャーチンの副官だったポシェットでした。この時、前年プチャーチンらの帰国に使った「ヘダ号」を返還、またディアナ号より陸揚げし、下田で保管していた大砲52門が「先の滞在中に受けた数々の恩恵に対するお礼として」日本に寄贈されました。
1857年12月7日=安政4年10月21日
162年前の12月7日、下田から出府したアメリカ総領事ハリスは江戸城で将軍家定に謁見し、大統領の親書奉呈を行いました。
ハリスの服装は青いシングルの上着、衿、袖口、ボタン穴は金の刺繍、金モールで飾り立て佩刀を着けていました。秘書ヒュースケンは略式の海軍服に佩刀です。この後幕閣と条約交渉に入り、日米修好通商条約の締結へと進んでいきました。