黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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166年前の8月22日

166年前の8月22日

1853年8月22日=嘉永6年7月18日
ロシアは江戸時代の中頃から日本に関心を持ち、使節を派遣してきました。第1回目は1792年で、使節ラックスマンは伊勢白子の神昌丸の漂流民大黒屋光太夫ら3人を伴い根室に来航しました。、第2回目は1804年です、使節レザノフは仙台漂流民津太夫ら4人を伴い長崎に入港しました。しかし幕府は鎖国を楯に拒否をしました。
アメリカのペリーが日本遠征を行う情報を得たロシアは、第3回目の使節プチャーチンを日本に派遣することにし、1852年10月クロンシュタット出帆。166年前の翌年8月22日パルラダ号他3隻で長崎到着し、国書を提出しました。プチャーチンはその後伊豆下田で交渉、津波により乗艦を失うなど多くの困難を乗り越え、日露和親条約を結び帰国し、首都サンクトペテルブルグに着いたのは1855年の暮でした。