黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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165年前の8月18日

165年前の8月18日

1854年8月18日=嘉永7年6月24日
165年前の8月18日、アメリカ商船レディ・ピアス号が越後国八幡丸の漂流民勇次郎(勇之助)送還のため下田入港しました。
八幡丸はエトロフ島内ベットフという所へ塩鱒を積み請けに航海の帰路、出羽国小島沖にて南風に遭い船は破れて航行不能になり、津軽海峡から太平洋に漂流、乗員13名の内唯1人命を保ちアメリカ船に救助されサンフランシスコへ渡りました。サンフランシスコで11ヶ月間日を送り、幸い日本行きの商船レディ・ピアスに便船を許されました。
取り調べに当たった下田奉行支配組頭伊佐新次郎の報告書には勇之助は優秀で蘭学、アメリカ文字も解り、英語通訳になることも勧めたとあります。しかし勇次郎は故郷へ帰りたい思いが強く、無事領主上杉家に渡されました。