黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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165年前の3月31日

165年前の3月31日

1854年3月31日(嘉永7.3.3)
1853年7月、アメリカ使節ペリー提督は4隻の黒船で浦賀へ来航し、幕府に開国を求める大統領の国書の受理を迫りました。幕府は拒絶する事の困難を感じ、やむを得ず国書を受け取り、1年後に回答することを約束しました。そして翌年ペリー提督は浦賀に再来しました。前年は4隻でしたが、再来時は12隻の艦隊でした。 以後紆余曲折を経て、165年前の今日、横浜で下田の開港などを取り決めた日米和親条約を締結しました。 ペリーはこの条約に基づき艦隊を下田に向ける準備をし、4月14日には7隻(内蒸気船は2隻)の黒船艦隊が下田に入港しました。