黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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162年前の3月1日

162年前の3月1日

1857年3月1日(安政4.2.6)
 米国総領事タウンゼント・ハリスは1856年9月下田に着任しましたが、着任2年前結ばれた日米和親約と付録下田条約では、米国人の買い物は決められた場所で下田奉行所の役人をを通じて行い、1ドル=金1分(金4分で1両)との取り決めでした。そこでハリスは下田奉行所に日用品の自由買い入れと通貨交換比率改定の申し入れをしました。互いの主張や駆け引きの後、162年前の今日、通貨の交換比率は同種同量、つまり1ドル銀貨(直径40㍉、27㌘)=1分銀(24㍉×17㍉、8.63㌘)3枚ときまりました。 以後ハリスは今までの1/3で品物を買うことが出来るようになましたが、これは翌年の日米修好通商条約に引き継がれました。