1854年2月12日(嘉永7.1.6) 1853年7月、アメリカ使節ペリー提督は4隻の黒船で浦賀へ来航し、幕府に開国を求めるアメリカ大統領の国書の受理を迫りました。幕府は拒絶する事の困難を感じ、やむを得ず翌日国書を受け取り、1年後に回答することを約束しました。 そして165年前の今日、アメリカ使節ペリー提督は前年に続いて浦賀に再 来しました。前年は4隻でしたが、再来時は12隻の艦隊でした。 以後紆余曲折をへて日米和親条約の締結と続いていきました。
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