黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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148年前の1月1日

148年前の1月1日

1871年1月1日(明治3.11.11) 148年前の今日、下田沖神子元島灯台が始めて点灯しました。 1866年(慶応2)英・仏・米・蘭の4ケ国との間で改税約書(関税率の取り決めなど)が調印されましたが、同時に外国船の航行の安全を図るために8ケ所の灯台や浮標を設置することも義務づけられ、その1つです。神子元島灯台は英国のスティーヴンスン兄弟社の設計、英人技師ブラントンの監督の下に明治2年着手、人力で石造灯台を完成させました。 点灯には参議大久保利通、木戸孝允など政府高官やイギリス公使パークス等が立ち会っています。 なお、他の7ケ所の灯台の場所と初点灯は次の通りです。 観音崎(神奈川県横須賀、1869.1.1)、野島崎(房総半島、1870.1.19)、樫野崎(和歌山県串本町、1970.7.8)、剣崎(神奈川県三浦、1971.3.1)、伊王島(長崎県伊王島、1971)、佐多崎(鹿児島県大隅半島、1871.10.18)、潮岬(和歌山県串本町、1970.6.10)▼ 神子元島灯台は現在も下田の海を照らし、国の史跡に指定されています▼ スティーヴンスン兄弟社は「宝島」等の作者R・Lスティーヴンスンのお父さん、おじさんの会社です。