黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

下田開国博物館ロゴ

今日は何の日

162年前の11月23日

1857年11月23日=安政4年10月7日
162年前の11月23日、米国総領事タウンゼント・ハリスは将軍謁見と重要事項協議のため江戸に向け下田を発ちました。
 中村の下田奉行所で250人とも350人とも言われる大名行列を組み、23日梨本の慈眼院泊まり、24日湯ケ島弘導寺泊まり、25日三島本陣泊まり、26日箱根の関所通過小田原本陣泊まり、27日藤沢泊まり、28日川崎着、29日は日曜日で行列は動かず2日間とも川崎泊まり、30日江戸着、午後4時ころ宿舎の九段坂下番所調所へ入りました。

152年前の11月9日

1867年11月9日=慶応3年10月14日
 1858年幕府はアメリカを初めヨーロッパ諸国と修好通商条約を結びますが、それにより攘夷運動が盛んになり、倒幕運動に向かっていきました。
 そして、1866年(慶応2年)薩長同盟が結ばれ、幕府は長州討伐を行いますが失敗し、幕府の威信は低下しました。このような動きの中で第15代将軍徳川慶喜は政権の維持が困難になったと判断し152年前の1867年11月9日、朝廷に政権の返上を申し出ました(大政奉還)これにより徳川幕府は終わることになったわけです。

163年前の11月8日

1856年11月8日=安政3年10月11日
 1855年2月7日、下田の長楽寺で日露和親条約が結ばれ、北方領土が取り決められ、下田、箱館、長崎がロシアに開港されました。
 条約交渉の最中、安政の大津波で下田はほぼ全壊、ロシア使節の軍艦ディアナ号も沈没、代船を建造しロシアの将兵は帰りました。
 翌年、当時のロシア使節プチャーチンの副官だったポッシェットが使節となり、日露和親条約批准のためオリヴァツア号で下田に来たのが163年前の11月8日です。
 この時プチャーチンらが帰国時に使用した、「ヘダ号」(伊豆半島戸田で建造した日本最初の洋式帆船)を返還のため伴っていました。