黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

下田開国博物館ロゴ

今日は何の日

168年前の10月17日

1853年10月17日=嘉永6年9月15日
徳川幕府は1635年(寛永12)、500石以上の大型船の建造を禁止しました。これは大名の軍船を規制するためで、2年後には軍船を除き大型船の建造を 許可し、以後いわゆる千石船による海運が発達しました。
しかし18世紀末頃から外国船が日本近海に姿を見せるようになり、幕府は鎖国を守ろうと色々な施策を講じましたが、大型軍船の必要にせまられ、168年前の1853年10月17日、ついに大船建造禁止を解除しました。
そして幕府は1854年浦賀に造船工場を開き、3本マスト(長さ22間、巾5間)の鳳凰丸を建造し、薩摩藩(昌平丸・3本マスト、長さ15間、巾4間)、水戸藩(旭日丸)等も洋式船の建造に向かいました。

 

 

217年前と163年前の10月9日

1804年10月9日=文化元9月6日
ロシアは江戸時代の中頃から日本関心を持ち、使節を派遣してきました。
第1回目は1792年で、ロシア女帝エカレリーナⅡ世の時で、アダムス・ラックスマンを漂流民大黒屋光太夫ら3人を日本に届け、通商を求める使節として日本に派遣し、根室に入港しました。幕府は松前でロシア使節ラックスマンと交渉し、通商は断わり、長崎への入港許可証を与え、漂流民大黒屋光太夫らを引き取りました。
第2回目が217年前の10月9日でした。使節ニコライ・レザノフは仙台漂流民津太夫ら4人を伴い長崎に入港、通商を求めるました。しかし幕府は火薬と銃器の引き渡しを求め上陸を許しませんでした。翌年3月、江戸から目付遠山金四郎が着き会見は行われましたが、漂流民は引き取るが交易は行わないとの答えでナジェーダ号は長崎を出港しました。

 

1858年10月9日=安政5年9月3日
長い間鎖国を続けてきた日本は1854年、アメリカと、翌年ロシアと和親条約を結び下田、箱館などの港を開きましたが、貿易をするといううことではありませんでした。その後アメリカ総領事タウンゼント・ハリスが来日、下田に領事館を開設し、交渉の末1858年7月修好通商条約を結び、鎖国を止め貿易のために横浜、神戸、新潟等の港を開くことになりました。
以後数ヶ月の間にオランダ、ロシア、イギリス、フランスと同内容の修好通商条約を結びました。163年前の10月9日はフランスと仏修好通商条約を調印した記念日です。

126年前の10月7日

1895年10月7日=明治28年10月7日
1856年(安政3年)、柿崎村(現下田市柿崎)の玉泉寺に総領事館を開設したアメリカ初代総領事ハリスと秘書兼通訳のヒュースケンには部屋召仕(実は侍妾)として、それぞれ「お吉」と「おふく」が仕えました。
ヒュースケンに仕えた「おふく」はヒュースケン亡き後、幸せな結婚をしたと言われていますが、126年前の10月7日、卵巣膿腫により死亡しました。享年52才でした。