黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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今日は何の日

162年前の1月31日

1861年1月31日=安政7年12月21日)
幕末に唐人「お吉」が下田でアメリカ総領事ハリスに仕えたことは有名で、小説、芝居、映画にもなっていますがすが、ハリスには「お吉」の他に若い女性が仕えています。
1859年(安政6)ハリスは公使に昇任し、7月江戸麻布の善福寺を公使館としました。「唐人お吉物語」ではお吉が江戸まで行った事になっていますが史実は別の女性で、162前の1月31日、公使館でハリスに仕えたのは18才の「りん」です。仕えた期間は2ケ月余でした。

180年前の1月29日

1843年1月29日=天保13年12月29日
享保6年(1721)幕府の海の関所である下田御番所の浦賀移転に伴い、江戸初期から約100年間続いた下田奉行所は14代奉行で終わりました。しかし18世紀になると外国船が度々姿を見せるようになり、幕府は下田港の入り口にお台場を造るなど海防に目を向け、180年前の1月29日下田奉行を再配置し、浦賀奉行小笠原加賀守が下田奉行に任じられました。しかし幕府の財政難などにより、弘化元年(1845)廃止されました。
次に再び下田に奉行所が配置されるのは日米和親条約により下田が開港された嘉永7年(1854)です。

208年前の1月27日

1815年1月27日=文化12年12月29日
208年前の1月27日、下田で中国の南京船を救助し、約2ケ月間船員90名を保護しました。
この日朝8時頃南京船1隻が下田港口に漂着していました。大風のためすぐ救出できず、翌年1月3日(旧暦)港内に引き入れました。船名「水茂」、約4,500石積、長さ30間、幅10間、深さ5間、船主は「楊秋棠」で、去る11月10日中国を出港、長崎に向かう途中暴風に逢い漂流しました。
下田では乗組員を保護し、船を直し、3月3日長崎に向け出帆させました。
※下田から長崎に向かう途中の神戸で出された瓦版には船主「朱子山」荷主「陶栗橋」乗組員90名とあります。