黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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161年前の12月12日

161年前の12月12日

12月12日(1857=安政4年10月26日)
下田に領事館を開いた初代米国総領事タウンゼント・ハリスは、幕府と重要事項協議のため出府し、江戸城で将軍家定に謁見したのですが、161年前の今日、老中堀田正睦らと会見しました。ハリスは蒸気船、電信などの発達で世界が一つのようになり、鎖国政策をやめるべきこと、貿易は日本に大きな利益をもたらすこと、領土的な野心はないことなど2時間以上語りました。この日以降、幕閣と条約交渉に入り、日米修好通商条約の締結へと進んでいきました。
 

162年前の11月8日

1856年11月8日(安政3年10月11日)  

1855年2月15、下田の長楽寺で日露和親条約が結ばれ、下田、箱館、長崎がロシアに開港されました。  

条約交渉の最中、安政の大津波で下田はほぼ全壊、ロシア使節の軍艦ディアナ号も沈没、代船を建造しロシアの将兵は帰りました。  

翌年、当時のロシア使節プチャーチンの副官だったポッシェットが使節となり、日露和親条約批准のためオリヴァツア号で下田に来たのが162年前の今日です。  

この時プチャーチンらが帰国時に使用した、「ヘダ号」(伊豆半島戸田で建造した日本最初の洋式帆船)を返還のため伴っていました。

158年前の9月9日

1860年9月9日(万延元年7月26日)
158年前の今日、イギリス公使オールコックが外国人で始めて富士山に登りました。このことは神聖な富士山を汚したと攘夷運動家を刺激す事になりました。翌年イギリス公使館は水戸浪士らに襲撃されるのですが、その1つ の理由にもなったようです。