2018年2月アーカイブ

1825.2.18(文政2.4.6)  
 江戸時代日本は鎖国をしていました。日本沿岸にロシアやイギリスの船がたびたび姿を見せるようになると、幕府は外国船打払令(無二念打払令)を出しました。「異国船はこれを発見しだい、二念なく打ち払うべし」というものです。それは193年前の今日です。 1837年、外国船打払令に従って浦賀奉行所が、浦賀にあらわれたアメリカの貿易商社の所属船モリソン号に対して砲撃を加えています。 しかし、日本人漂流漁民を送り届けてきたアメリカ商船モリソン号をイギリスの軍艦と誤認して砲撃したモリソン号事件は日本人にも批判されました。また、アヘン戦争での清の惨敗の情報により、幕府は西洋の軍事力の強大さを認識し、1842年(天保13年)には異国船打払令を廃止し、遭難した船に限り補給を認めるという薪水給与令を出して、文化の薪水給与令の水準に戻すことにしまし。

 

1855.2.7(安政元12.21)
 163年前の今日、下田の長楽寺で日露和親条約が締結されました。南千島 (エトロフ島より南)は日本領、北千島(ウルップ島より北)はロシア領、樺太は共同使用。下田、箱館、長崎を開港等々です。前年1月長崎で日本側大目付格筒井政憲、勘定奉行川路聖謨と交渉したのですが打ち切りとなり、下田で同じメンバーで交渉を再開しまとまったものです。2月7日の「北方領土の日」はこの条約締結の記念日なのです。 また、この20年後の明治8年(1875)樺太千島交換条約が結ばれ、樺太はロシア領、千島列島は日本領となりました。当時国境は戦争の結果で決まるのが普通でしたが、日本とロシアのこの2つ条約は話し合いで決めました。これは世界史上特記すべきことです。しかし、以後日露戦争、世界大戦を経て現在に至っているわけです。

1855.2.5(安政1.12.19)
  163年前の今日、下田長楽寺において日米和親条約批准書の交換が行われ ました。  1854年3月日米和親条約が神奈川で締結されると、アダムス中佐はサラトガ号でアメリカヘ向かい、米国政府(元老院)の全会一致の批准を得、今度は「条約批准交換使節」として下田に来航しました。条約解釈の違い(日本側は条約締結18ヶ月後批准書交換、アメリカ側は18ケ月以内)、また、署名者(アメリカ側は大統領なので、天皇の署名を求めたが結果は老中)など問題はありましたがこの日批准書を交換しました。

 

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