2017年12月アーカイブ

1857.12.12(安政4.10.26)
  下田に領事館を開いた初代米国総領事タウンゼント・ハリスは、幕府と重要事項協議のため出府し、江戸城で将軍家定に謁見したのですが、その5日後の160年前の今日、老中堀田正睦らと会見しました。ハリスは蒸気船、電信などの発達で世界が一つのようになり、鎖国政策をやめるべきこと、貿易は日本に大きな利益をもたらすこと、領土的な野心はないことなど2時間以上語りました。 この日以降、幕閣と条約交渉に入り、日米修好通商条約の締結へと進んでいきました。

 

 ①1856.12.7(安政3.11.10)
 161年前の今日は下田で1855.2.7締結の日露和親条約批准書交換が下田郊外中村の下田奉行所で行われた日です。ロシア使節は条約交渉の時のロシア使節プチャーチンの副官だったポシェットでした。この時、前年プチャーチンらの帰国に使った「ヘダ号」を返還、またディアナ号より陸揚げし、下田で保管していた大砲52門が「先の滞在中に受けた数々の恩恵に対するお礼として」日本に寄贈されました。

②1857.12.7(安政4.10.21)
 160前の今日、下田から出府したアメリカ総領事ハリスは江戸城で将軍家定に謁見し、大統領の親書奉呈を行いました。 ハリスの服装は青いシングルの上着、衿、袖口、ボタン穴は金の刺繍、金モールで飾り立て佩刀を着けていました。秘書ヒュースケンは略式の海軍服に佩刀です。この後幕閣と条約交渉に入り、日米修好通商条約の締結へと進んでいきました。

 

1854.12.4(嘉永7.10.15)
  163年前の今日、ロシア使節プチャーチンがディアナ号で下田へ来航しました。目的は北方の国境画定と日本との通商の協議のためです。この年の1月長崎で日本側大目付格筒井政憲、勘定奉行川路聖謨と交渉したのですが打ち切りとなり、下田で同じメンバーで交渉を再開しました。交渉の末1855年2月7日下田の長楽寺で日露和親条約を結びました。千島列島エトロフ島以南が日本、ウルップ島以北がロシア、樺太は共同使用。下田、箱館、長崎の開港等々を決めまし。当時国境は戦争の結果で決まるのが普通でしたが、日本とロシアは話し合いで決め、これは世界史上特記すべきことです。
 なお、2月7日は「北方領土の日」ですが、この日露和親条約締結を記念したものです。

 

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