1863.2.28(文久3.1.11)
  154年前の今日、土佐藩主山内容堂が、筑前黒田藩の大鵬丸を借用し海路上京の途次下田に入港しました。強風のため数日滞在し、宝福寺を本陣としました。その4日後の同年1月15日(和暦)、勝海舟が松平春岳一行を京に送り、江戸帰府の順動丸で下田入港して、角谷へ宿泊し、宝福寺で山内容堂と会談をしています。この時、山内容堂は勝海舟のもとにいた坂本龍馬らの脱藩の罪を許したと言われています。

 

1873.2.24(明治6) 
  1871年(明治4)条約改正のため欧米に派遣された岩倉具視ら一行は日本がキリスト教の禁制と迫害をやめないかぎり欧米諸国との条約改正の交渉が問題にされない事を知り政府にキリスト教解禁を上申しました。144年前の今日、明治政府は「太政官布告第68号」を発し、キリスト教禁制の高札を撤廃した。これは条約改正の為の措置であって、信教の自由公認とはほどっといものであったが、キリスト今日の教宣活動が行えるようになりました。

 

1825.2.18 (文政2.4.6)  
 江戸時代日本は鎖国をしていました。日本沿岸にロシアやイギリスの船がたびたび姿を見せるようになると、幕府は外国船打払令(無二念打払令)を出しました。「異国船はこれを発見しだい、二念なく打ち払うべし」というものです。それは192年前の今日です。
  1837年、外国船打払令に従って浦賀奉行所が、浦賀にあらわれたアメリカの貿易商社の所属船モリソン号に対して砲撃を加えています。 しかし、日本人漂流漁民を送り届けてきたアメリカ商船モリソン号をイギリスの軍艦と誤認して砲撃したモリソン号事件は日本人にも批判されました。また、アヘン戦争での清の惨敗の情報により、幕府は西洋の軍事力の強大さを認識し、1842年(天保13年)には異国船打払令を廃止し、遭難した船に限り補給を認めるという薪水給与令を出して、文化の薪水給与令の水準に戻すことにしまし。

 

ホームページへ

アイテム

  • ハリス1.jpg
  • page001.jpg

カテゴリ

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.04