黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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ペリーの微妙な立場

2014年06月22日

 

ペリーの黒船といえば蒸気船の音を轟かせながら大砲を構える威圧的な軍艦というイメージがあります。

ペリーの日本に対する外交を「砲丸外交」として捉える歴史家は少なからずおり、実際にペリーと黒船という軍艦の組み合わせはその印象を裏付けます。

ところが、当時の合衆国大統領であるフィルモアがペリーに当てた指令書には、日本に対する戦争権の否認と、自衛以外の発砲権の禁止が挙げられていたそうです。

ペリーは武力行使を禁じられながらも、合衆国の代表として日本に侮られてはならない、という微妙な立場に立っていました。

実のところ、当時の太平洋における合衆国の立場自体が微妙だったとする研究もあります。

合衆国は、日本とアメリカが戦争状態に陥れば、イギリスが中立の立場を取り、香港などの補給地を失うという認識をもっていました。

当時の合衆国は、太平洋における補給地のほとんどをイギリスの領地に依存していたそうです。

太平洋においては新参者の合衆国にとって、補給地の不足は否応なく実際的な政策を取らざるをえないものであり、日本に対する威圧的な態度も、政治的なパフォーマンスという意味合いが強かったものと考えられます。

西洋の強国がアジアの小国を開国するといった直線的な歴史よりは、事態はなかなかに複雑なものであるようです。

ひすとりえ