黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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最新情報アーカイブ

「地元割」開催します(^_-)-☆

2021年09月27日

地域の皆さまに特別サービス「地元割」を開催します!
※下田市内/賀茂郡内にお住いの方限定
令和3年10月31日までの期間限定

このページを受付で提示して頂くか、印刷したものをご提出ください!
※併せて、お住いの地域がわかる免許証や保険証などのご提示も
お願いします。
大人1200円⇒600円 小人600円⇒200円
となります(*’ω’*)

なかなか出かけられない今だからこそ、地元の歴史を
勉強してみませんか?
歴史クイズやQR展示ガイドも好評です!!

皆様のご来館、お待ちしております(^_-)-☆

150年前の10月5日

2021年09月22日

1871年10月5日(明治4年8月21日)
 伊豆半島最南端にある石廊埼灯台は、150年前の1871年10月5日(明治4.8.21)完成初点灯しました。1871年1月1日初点灯した下田南沖11KMにある神子元島灯台と同じく、お雇い英国人のR・Hブラントンによって建造されました。 当初は塔高6.1㍍、八角型の木造白塗りで、赤色不動光の光が点灯されました。これが日本最初の洋式木造灯台でした。
 しかし1932年(昭和7)年11月14日の台風で大破したため、灯塔を鉄筋コンクリート造りにし、再建工事にとりかかり1933年(昭和8)3月31日完成しました。塔高11.38m、水面からの灯高59.54m。現在の灯台であす。
1993年(平成5)灯台の全面がタイル張りに改修され、レンズも直径40cmのビーコンレンズとなり、灯質の周期も国際基準を満たすため、毎16秒に白1閃光、赤1閃光に改められました。
 石廊崎は伊豆半島の最南端に位置し、太平洋を相模灘と駿河湾とに二分するように岬が突き出しています。ここは昔から波荒い海の難所であり、この灯台の場所には江戸時代の初期から「長(なが)津(つ)呂(ろ)湊(みなと)明(あかし)堂(どう)」があり、洋式灯台が建設されるまで235年間海の守りとして重要な使命を果たしてきました。

123年前の9月22日

2021年09月16日

1898年9月22日=明治31年9月22日
123年前の9月22ヒ下田船渠合資会社が設立されました。下田では江戸時代から造船が行われており、ペリーの黒船艦隊来航の記録にも記されています。
 幕末から明治の下田の造船業は現在の市街地と武ヶ浜の間の中洲にあり、 船大工の棟梁は14名居り、その配下の大工、徒弟、関連職人を含め100人以上の造船関係者がいました。
 伊豆の造船の歴史は古く、万葉集にも「伊豆手船」と出、またロシア使節の乗艦ディアナ号が津波で破壊され沈没し、その代船「ヘダ号」の建造で洋式造船発祥の地でもあります。
近代的な造船業を目指して造船所仲間や有力者で下田船渠合資会社を設立し、多くの困難に中で下田町鵜島に石造りの200トンドライドックを完成させ、1901年事業を開始しました。