2018年5月アーカイブ

1860.5.22(万延元4.3)
 1858年7月に結ばれた日米修好通商条約の批准書交換のため幕府は正使を新見豊前守として遣米使節を派遣しました。使節一行約80名は米艦ポーハタン号で渡米、153年前の今日(和暦4月2日)ワシントン米国国務省において日米修好通商条約批准書交換しました。 使節一行はヒラデルフィア、ニューヨーク等アメリカを視察、大西洋インド洋を経て帰国しました。 なお、使節の護衛艦として咸臨丸が太平洋を渡りました。軍艦奉行木村摂津守、艦長勝海舟以下日本人乗組員96名で、任務を果たして6月24日品川へ帰港しました。

 

1857.5.21(安政4.4.28)
 161年前の今日、下田駐在のアメリカ総領事ハリスの秘書ヒュースケンが下田で馬一頭を買いました。27ドル41セント(約19両)でした。ヒュースケンのこの日の日 記には次のように書かれています。「サラブレッド1頭にしては何という大金!このぶんならどうやらやって行けそうだ、日本に来てまず下男を雇った。こんどは馬持ちだ!この調子だと自分の馬車をもって皇帝の一人娘に結婚のをもうしこむことにもなりかねかない。そうなると俺は植民地提督だ」

 

1854.5.13(嘉永7.4.17)  
   1854年3月31日締結された日米和親条約で下田が開港場となり、アメリカのペリー提督は、7隻の黒船(蒸気船2,帆船5)で1200名余の将兵を率い下田に来航しました。 同条約では翌年箱館を開港することになっていたので、艦隊は164年前の今日、調査のため下田港を函館に向け出帆しました。  下田に帰港したのは6月7日(和暦で5月12日)でした。

 

1861.5.10(文久元4.12)
  157年前の今日、アメリカ公使タウンゼント・ハリスは日本を去り帰国の途につきました。1856年8月初代総領事として下田に着任し、多くの困難を乗り越え1858年7月に日米修好通商条約を結び、その後公使として江戸に駐在し、幕府も諸外国との交渉で彼を頼りにする存在となっていました。 日本滞在5 年9ケ月、内下田の領事館時代は3ヶ年弱でした。

 

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