2018年4月アーカイブ

 ① 1855.4.20(安政2.3.4) 
   
163年前の今日、フランス軍艦コンスタンチン号がクリミア戦争で敵対しているロシア軍艦探索のため下田に入港しましたが、下田奉行はフランスは日本とは無条約の国のであるとして上陸を拒否、退帆を求めました。   なお、下田入港のロシア軍艦ディアナ号は3ケ月前の大津波で大破、沈没し、ロシア将兵は伊豆半島根元の戸田に滞在中でした。

②1934.4.20(昭和9.4.20)
  
84年前の今日、下田開港80周年を記念して第一回黒船祭りが開催されました。グルー米国大使夫妻、野村吉三郎海軍大将が軍艦島風で入港参加。  以後第2次世界大戦による中断はありましたが毎年黒船祭りは開催されています。(現在は例年5月第3週の金・土・日曜日)
 

1854.4.18(嘉永7.3.21)
  164年前の今日、アメリカのペリー提督搭乗の蒸気艦ポーハタン号とミシシッピー号が午後2時頃下田入港しました。  この3月31日締結された日米和親条約で下田は即時開港となり、ペリーの黒船艦隊は15日から順次下田に入港しました。合計7隻(内蒸気船は2隻)となりアメリカ将兵は1200数十名でした。  この日以来、5年後に横浜が開港するまで、下田は外国との窓口の地となり歴史上重要ないろいろな出来事がありました。

 

1854.4.15(嘉永7.3.18)
  幕末の思想家、吉田松陰が下田入港のアメリカ・ペリーの黒船で海外渡航を計った事はよく知られていますが、164年前の今日は松陰と弟子の金子重輔がペリーの黒船艦隊を追って下田着いた日です。この日は岡方屋に投宿しますが、松陰は皮膚病・疥癬を発し、2日後蓮台寺温泉に行き浴湯し、医師村山行馬郎宅泊に泊まりました。以後蓮台寺と下田を行き来し黒船へ乗る機会を狙います。

 

1855.4.11(安政2.2.24)
  下田港に停泊中のロシア使節プチャーチンの乗艦ディアナ号は前年12月、安政の大津波により大破し、修理のため戸田に回航途中富士沖で沈没してしまいました。  約500名のロシア将兵は戸田村(現沼津市戸田)に滞在し、代船建造やアメリカ商船をチャーターし、3回に別け帰国の途につくのですが、163年前の今日は第1次として159名のロシア将兵が米船カロラインフート号で、帰国の途についた日です。カロラインフート号には船主の婦人や子どもなどが乗っていましたが、この間は下船して下田の玉泉寺に滞在していました。

 

ホームページへ

このアーカイブについて

このページには、2018年4月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.04