2017年8月アーカイブ

1856.8.21(安政3.7.21)
  161年前の今日はアメリカの初代駐日総領事タウンゼンド・ハリスが秘書兼通訳のヒュースケンを伴い、サン・ジャシント号で下田に到着した日です。  ハリスは日米和親条約に基づき下田に領事館を開設し、通商条約締結の任務を帯びていました。以後奮闘の末、日米修好通商条約を結び公使となって江戸に駐在するまで約3年間下田で暮らすことになります。

 

1854.8.18及び8.19(安政5.7.10,11)
  1858年7月、幕府はアメリカ総領事タウンゼント・ハリスと日米修好通商条約を結び、神奈川、長崎、兵庫、新潟、箱館の開港などを決めました。この条約で日本は鎖国を止め世界の仲間入りする事になった訳です。そしてその後3ケ月に満たない間にオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同内容の修好通商条約を結びました。(安政の5ヶ国条約と呼んでいます)
 159年前の8月18,19日は日本とオランダの日蘭修好通商条約、日本とロシアの日露修好通商条約が調印された日です。

 

1584.8.18(嘉永7.6.24)
  163年前の今日、アメリカ商船レディ・ピアス号が越後国八幡丸の漂流民勇次郎(勇之助)送還のため下田入港しました。八幡丸はエトロフ島内ベットフという所へ塩鱒を積み請けに航海の帰路、出羽国小島沖にて南風に遭い船は破れて航行不能になり、津軽海峡から太平洋に漂流、乗員13名の内唯1人命を保ち,アメリカ船に救助されサンフランシスコへ渡った。サンフランシスコで11ヶ月間日を送り、幸い日本行きの商船レディ・ピアスに便船を許された。取り調べに当たった下田奉行支配組頭伊佐新次郎の報告書には勇之助は優秀で蘭学、アメリカ文字も解り、英語通訳になることも勧めたとあります。しかし勇次郎は故郷へ帰りたい思いが強く、無事領主上杉家に渡されました。
 

 1754.8.14 (宝暦4.6.26) 
 この日下田で保護していた南京船の漂民71名を長崎に護送ました。
  宝暦3年(1753)12月10日、長崎往来の南京商船が遭難し、八丈島に漂着しました。廣南船主「高山輝」「程剣南」71人乗り組み。南京の乍浦港から長崎に向かう途中暴風雨に逢い、舵を失うなどの破船をしました。八丈島で荷物を陸揚げし、その地では約半年間、食料を与えるなど保護し、翌年6月上旬、11隻の船に乗せて下田に護送しました。下田では71人に住まいを提供し、また病人を看護し、263年前の今日、長崎に護送すべく筑前船2隻に乗せ送り出しました。

 

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