163年前の4月24日

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1854.4.24(嘉永7.3.27)
   吉田松陰が下田湊に停泊中のペリーの黒船で海外密航を図った事はよく知られていますが、163年前の今日が決行した日です。
  松陰と弟子の金子重輔は夜半、柿崎弁天島から伝馬船で沖に漕ぎ出しました。旗艦ポーハタン号への乗船までは成功しましたが、海外渡航は拒否されボートで岸に帰されました。翌日早朝柿崎名主平右衛門家へ行き、下田奉行所に自首の取り次ぎをさせ、夜同心が引き取りに来ました。2人は江戸に護送され、故郷の萩に帰されました。  松陰は萩の「松下村塾」で子弟の教育に当たるわけですが、その弟子達が密かに海外渡航(留学)を果たし、新しい知識を身につけ帰国、明治維新・新たな日本建設の役割を果たしました。

 

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